8年めの文塾
文塾はこの4月で8年目になりました。支えて頂いている関係者の皆様に深く感謝申し上げます。
私は普通の学習塾で長い間受験のための指導を続けてきました。そして7年前の春に、思い立って「文塾」を開きました。
そろそろ「知識の蓄積と計算の速さ」だけの「つめこみ」は終わりにしようと考えたからです。
「欧米のキャッチアップだけではもう駄目だ。これからは自ら考え、アイデアを出し、実践していく能力が必要だ・・」
こんなことが政府の教育審議会などで言われ続けて、もう30年余り経ちました。実はこの見解は、経済界からの要請でもあったのですが、私も同意見です。
あの「ゆとり教育」も、「考える力=生きる力」の獲得を目標として推進されました。 しかし、学力が低下したなどと批判され、結局失敗に終わりました。その後再び学校教育は、受験のための「つめこみ」に戻って久しい。
考えてみれば明治以来ずっと、欧米キャッチアップの「つめこみ」なのですから、このやり方は140年あまり続く「日本の伝統」なのです。
近代教育といえば「つめこみ」以外、私たちは何も知らない。それ以前は、1,000年以上の間、「中国の学問のつめこみ」でした(江戸時代のサムライたちの子弟は、四書五経の素読をやらされましたね)
もともと今までやったことのないものを一からやるなんて、日本人の文化にも伝統にも殆ど無かったことです(縄文土器や和歌をつくったことぐらいしか思いつきません)
では、どうしたら良いのか?
今後の日本や世界の先行きは、全く不透明と言って良いでしょう。50年後(その頃には私はもういませんが)この社会がどうなっているのか?これを正確に予測できる人はひとりもいません。
しかし今の中学生たちは、50年後もこの世界に生きているでしょうし、生きていてもらわなければなりません。
そのために重要なことは、誰かのモノマネではなく、「自ら考え、判断し、実践する能力(文塾ではこれをサバイバル能力と呼んでいる)」に違いない。
教育が子供たちのこの能力を鍛え上げなければ、一体誰がやるのでしょう?
文塾の「世の中を知り、どうしたらよいかを自分で考える=新聞を読み、それについて自分の意見を文章にして考えてみる」
という方法は、若者たちの将来にとって極めて重要な経験になると考えます。
繰り返しになりますが、これがこの小さな「文塾」の目標です。
一人一人が自らちゃんと考え、判断し、実践していれば、シャープも東芝もあんなことにはならなくて済んだのではないでしょうか。
もうすでに一部のエリートだけによる舵とりでは、うまくはいかない時代になっているのです。