体罰指導はなぜ起きるのか

去年、大阪の高校で、バスケットボール部の生徒が自殺し、体罰をしていたとされる顧問の教諭が告発されました。別の大阪の高校でも、柔道部顧問が女生徒に体罰をしていたことが判り、問題となっています。また今年、全日本女子柔道強化選手15名が、全柔連やJOCを告発、監督やコーチ、強化担当理事までが辞任に追い込まれました。高校では、大会出場選手の選定は、顧問の専権事項です。全日本柔道でも、監督がオリンピック選考会等への出場者選定に大きな力を持つとされます。

どちらのケースも、選手の活躍の場は指導者の判断に委ねられ、歯向かうことは考えられません。指導者と選手、両者は明確な上下関係下にあります。

しかも練習の場は、関係者以外には目が届きにくい、密室のような環境です。

かつて酷いシゴキにより、死者まで出した相撲部屋がありましたが、状況は瓜二つです。

なぜこのような体罰が繰り返されるのでしょう。

スポーツに限らず、指導者は(そのことに自覚的ではないと)かつて自分が受けたやり方と同じ指導法を採るものです。辞めた高校の教諭や柔道連盟の監督も、若いころ同じような体罰を受けながら指導された経験を持っていたのではないでしょうか。

これは、子どものころ虐待を受けて育った人が親になり、自分の子どもにも虐待を加えてしまうことと同じ現象です。

「虐待の連鎖」と呼ばれています。

もしかしたらこのような体罰は、日本のスポーツ界や学校のいたるところで常時行われている、伝統的な教育方では・・と私は考えています。

それでは、このような「体罰の連鎖」のルーツは、いったい何にあるのでしょう。

私見にすぎませんが、日本の軍隊教育にあるような気がしています。

五味川純平の「戦争と人間」という作品をご存知でしょうか。映画化もされたその作品の中に、新兵への体罰シーンが描かれています。

舞台は、中国東北部の日本軍駐屯地。古参の下士官が、主人公の新兵に執拗な体罰を加え、徹底的にその自尊心を踏みにじろうとします。

先日亡くなった大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」にも、古参兵(ビートたけし)による虐待シーンが出てきます。また、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した、姜文監督の「鬼が来た!」では、「日本軍の虐待」がテーマとなっています。

このような行為は、上官の命令に絶対服従させるための「教育法」として、日本のどこの軍隊でも普通に行われていたようです。

かつて、丸山眞男が「抑圧の移譲」と名付けた、日本軍特有の教育法です。

ここには、云うまでもなく、人権というものはありません。

私も幼いころ、父親から虐待を受けて育ちました。

父も戦時下の大陸で、同様の「教育」を受けたと云っていました。

私を叱るとき、軍隊で使われる言葉で、罵倒しました。

今でもときどき、父に叱られる夢にうなされ、深夜に寝汗をかきながら目覚めてしまうことがあります。

ちょっと大げさでは?・・と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、私にはどうしても、このように思えてしょうがないのです。

やはり戦争は、人の心に深い傷を残すものです。

塾長 の紹介

1957年東京生まれ。1981年早稲田大学第二文学部卒業。 医学雑誌編集記者、技術系出版社を経て、1991年より学習塾「自由学舎」(東京都目黒区)の専任講師。2008年新聞記事を題材に作文をする塾「文塾」を立川市に開設。 小・中・高校・大学受験の指導だけでなく、不登校児の学習支援や野外活動指導員としての実績を持つ。
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