文塾のねらい

昨年、新聞(読売新聞や多摩リビング)の記事になり、文塾の基本理念について紹介してもらいましたが、このブログでもお話ししたいと思います。

「子どもの意識に社会性の芽を植え付ければ、学習意欲は自然に湧いてくるのでは?」

この仮説が文塾の原点です。これがなかったら文塾は生まれなかったでしょう。

かつて私が教えていた塾には、ほとんど学習意欲の無い子どもたちがかなりいました。この子たちに共通してみられる特徴に、「社会に対してほとんど興味がない」「社会についての一般的な常識を知らない」・・・という点がありました。例えば、TVはよく観ますが、アニメやバラェティ、ドラマ等で、ニュースやドキュメンタリー、報道は観ません。興味の範囲は家族、友人関係、またスポーツやマンガ、ゲーム、集めているカードなど。読む本は1年間に1~2冊。新聞は全然読みません。政治や経済はもちろん、歴史、社会の成り立ちに関する事項、世界の出来事等は情報として入ってくることは稀です。そのうえ彼らに将来の希望を聞くと、ほとんど何も答えられない。

社会の仕組みも動きも歴史も自分には一切関わりないと考え、自分の将来にもほとんど関心を持てない子どもたちが増え続けている・・・こんな現象を、私は何時からか「俺たちに明日はない現象」と呼ぶようになりました。今からざっと15、16年程前でしょうか。そして「今さえよけりゃ、全てオッケー!」の“終わりなき日常を生きる”この子たちの増加とともに、学力低下現象は一段と進んだと思います。例えば今も掛け算の九九やアルファベットを一部しか知らない高校生が相当数います。かつて文科省の「ゆとり教育」が学力低下をまねいたと大きな批判を浴びましたが、学力・学習意欲の低下はずっと以前から始まっていました。

しかし、これは考えてみると当たり前のことなのかもしれません。社会に興味が無く、自分の将来にも関心の持てない子どもたちにとって、学校の勉強に何の意味があるでしょう。

このような現象に対して、教師がただ単に授業に工夫を重ねることだけで学習意欲を高めるのは容易ではありません。一部の進学校を除いて、全国の小・中・高校の先生方が悩み、日々闘っている問題です。ほとんどの子どもたちの中に、そもそも学校で勉強する動機が存在しないのです。

ではこの動機はいったいどこからくるのでしょう。それはかなり大雑把な言い方かもしれませんが、「将来、自分も大人になって社会の一員として働くことになるのだ。」という自覚からではないでしょうか。それには社会というものを自分の中で意識化し、対象として見つけていく視点が不可欠だと思います。

「まずは社会を徐々に知ることによって、それに関心をもち、将来について少しずつ考える・・・」このモチベーション作りが文塾のねらいです。

塾長 の紹介

1957年東京生まれ。1981年早稲田大学第二文学部卒業。 医学雑誌編集記者、技術系出版社を経て、1991年より学習塾「自由学舎」(東京都目黒区)の専任講師。2008年新聞記事を題材に作文をする塾「文塾」を立川市に開設。 小・中・高校・大学受験の指導だけでなく、不登校児の学習支援や野外活動指導員としての実績を持つ。
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