作文指導のこと

子供たちに課題を与え、作文が仕上がってくるのを見ると、ときどき考え込んでしまうことがあります。彼らが書いてくれた作文は、お世辞にも所謂上手くできた文章ではありません。文としてはほとんど滅茶苦茶といってもよいでしょう。話の繋がりはバラバラ、いきなりの飛躍もお構いなし、誤字脱字はあって当たりまえ、の世界です。人の顔でいうと、眉が顎の下にあり、目は頬っぺたで口の位置に鼻がついている。お正月の福笑いのような独自の表現です。私の仕事はそれぞれに指示を出して「ここは、こうしなさい・・・」と、習字の先生が字を直すように指導していく訳です。

確かにそれらは当初読めたものではありません。しかしそこには、彼らなりに一所懸命考えた真面目な意見が詰まっています。決して深くも重くもない意見かもしれませんが、その行間に込められた生き生きとした真摯な思いをはっきりと読み取ることができるのです。

指導すればだんだん読みやすく、整った文にはなっていくでしょう。でもそれは恰も個性溢れる顔が、美容整形手術でどんどん均整のとれたおもしろくもおかしくもない平均的美人顔になっていく過程に他なりません。手を加えれば加えるほど、当初の名文?の個性は失われていく。オリジナルの良さはその大半が消え、作者の思いはどんどん薄くなっていく。

「作文の教師とはこんなに因果なものか・・・」

やっていて悲しくなってしまうこの気持ち・・・どなたか解ってはいただけないでしょうか?。

塾長 の紹介

1957年東京生まれ。1981年早稲田大学第二文学部卒業。 医学雑誌編集記者、技術系出版社を経て、1991年より学習塾「自由学舎」(東京都目黒区)の専任講師。2008年新聞記事を題材に作文をする塾「文塾」を立川市に開設。 小・中・高校・大学受験の指導だけでなく、不登校児の学習支援や野外活動指導員としての実績を持つ。
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